代表弁護士 小倉 悠治
昭和56年 神奈川県で出生
平成16年 東京大学教育学部卒業(心理学、哲学、歴史学等を研究)
平成19年 慶応義塾大学大学院法務研究科 修了 司法試験合格(選択科目:労働法)
平成20年 弁護士登録(金沢弁護士会)
平成20年12月~平成30年2月 金沢市内の法律事務所に勤務
平成30年3月 小倉悠治法律事務所 開設
平成30年4月~平成31年3月 金沢弁護士会 副会長(担当:中小企業、高齢者・障がい者、刑事弁護等)
令和4年9月 小倉悠治法律事務所を法人化し「弁護士法人クオリティ・ワン」を設立
弁護士(金沢弁護士会所属)、経営心理士、キャッシュフローコーチ
※経営心理士とは高齢者・障がい者の支援
司法と福祉の連携を目指し、いしかわ司法福祉研究会を立ち上げ、弁護士・社会福祉士・精神保健福祉士・臨床心理士・児童福祉司・看護師等が連携し、年数回勉強会を開催しました。現在は弁護士会と精神保健福祉士会、社会福祉士会との合同の勉強会へと発展しています。
刑事弁護活動
依存症で苦しむ人への支援を行う北陸アディクションリカバリーパートナーズ(HARP)と連携しています。また、罪に問われた人の更生を支援するため、弁護士会内で更生支援プロジェクトチームを結成しました。
・「企業経営を取り巻く法的課題への対処について」(金沢商工会議所)
・社労士向け勉強会開催(3回シリーズ「残業代請求のリアル」、「ハラスメント最前線」、「問題社員対応最前線」)
・「働き方改革への対応~働き方改革関連法案の実態と企業に求められる実務対応」
・「長澤運輸事件・ハマキョウレックス事件対応セミナー~最高裁判決を踏まえた実務対応」
・「問題社員対応の本質」
ほか多数
金沢に就職したきっかけ
私は神奈川県川崎市出身です。
私が金沢に最初に来たのは、小学生の頃でした。母と2人で金沢に旅行に来たのです。まだ北陸新幹線もなく、長岡駅で特急列車に乗り換えたことを覚えています。
母がガイドブックである小料理屋を見つけ、そこで夕食をとることに決めました。しかし、その小料理屋とおぼしき店は玄関の扉が閉まっていました。私はおかしいなと思い、戸を叩いてみたり、がたがたと動かそうとしてみたりしたのですが、開きません。物音を聞きつけ、中から1人の女性が出てきました。ちょうどよかったと思い、ガイドブックを示して、この店舗を探していると言うと、「あぁ、これはうちです」と言われます。食事に来たのですが…と言うと、「実は朝から風邪で寝込んでおりまして・・・。今日は休ませていただいているのです」と言われます。
それでは仕方がないと思い、帰ろうといたしました。すると、「あ、ちょっと待って下さい。どちらからおいでたのですか?」と聞かれるので、関東から来た旨を伝えました。すると、その女性は少し考えた後で、「どうぞお入り下さい」と言われたのです。
風邪で寝込んでいる人に悪いと思い、辞退したのですが、遠くからわざわざ訪ねてきた人を帰すわけにはいかない、どうしても食べていって下さいと言われるのです。好意に甘え、夕食をいただくことになりました。そして、私たちのためだけに席を設けて下さり、金沢の文化や雪見障子のことなどをお話し下さったのを鮮明に記憶しております。私は、小学生ながら、何とか喜んでもらおうという、そのやさしい思いやりに感動しました。金沢とは何とすばらしいところなのだろうと心に残りました。そして、司法試験に合格した後、研修先として金沢に配属され、1年間住むうち、金沢のひと、文化、空気、食べ物などに惚れ込み、金沢での就職を決意いたしました。
弁護士を目指したきっかけ
私の母方の祖父は画家でした。私が小学生のころ、喉頭がんで入院闘病の末、この世を去りました。その祖父は、見舞いに訪れる私に「お前は医者か弁護士になれ」と繰り返し言っていました。その頃は小学生ということもあり、それほど気にもとめていませんでした。しかし、大学生になり、真剣に就職先を探そうとしたとき、祖父の言葉が脳裏をかすめたのです。どうせ仕事をするなら、やりがいのある仕事をしたい。自分の手で人を救うことができるなら、こんなにやりがいのある仕事はない。そう思った時、弁護士という仕事がとても魅力的に思えました。
時あたかも、司法試験制度の大改革の時期で、法律を勉強していない人にも司法試験の門戸が広がりました。そこで、法科大学院への進学を決意したのです。私の専門は教育学。法律は素人同然でした。3年間の猛勉強は正直きついものでした。しかし、周りは皆、会社を辞めて来た人ばかりで、気迫が違いました。やる気にあふれた友達に囲まれ、無事に合格することができたのです。
今となれば、「人を救う」ということは、なんともおこがましいことを考えていたと思います。若さ故の情熱だったかも知れません。今では、顧客の持続的成長に貢献する、困っている顧客の問題解決をサポートするということが、何より自分の幸せと思っております。
弁護方針policy
勝ち負けを超えた弁護を
とにかく、弁護士の業務では、勝ち負けが重視されがちです。しかし、私は勝ち負けのその先にある価値を追及する弁護を目指します。
こんなことがありました。飛び込みで相談に来られた方が「第1審で負けたから、第2審の代理人をお願いしたい」という依頼です。しかし、聞けば聞くほど難しい案件でした。仮に上の裁判所に控訴したとしても、結果的に厳しい判決になることが予想されました。それを率直にお伝えしたのですが、その方は「どうしても戦いたい」とおっしゃいます。そこまで言われるならと引き受けました。やるからには全力でと証拠を洗い直し、その方から何度もヒアリングし、依頼者を裁判所にお連れして裁判官にも直接話を聞いてもらう機会も設けました。そして、最終的には裁判官から第1審の判決から少しだけ有利な和解提案がなされました。当然難色を示されるだろうと思っていました。しかし、その方は、「これでいい」と言われたのです。そして、後日、封筒を持参され、「報酬です」と言われるのです。第一審の結果とほとんど変わっていないのに報酬を受け取るわけにいかないと固辞すると、「先生ね。私はうれしかったんや。
私の思いをきちんと聞いてくれた。紙にもきちんと書いてくれた。裁判官にもきちんと話ができた。その上で、裁判官が出した結論がこれなんですわ。これで納得したんです。やっぱり先生の言われるとおりやった。でも、本当にうれしかった。あんたに依頼して良かった。これは、そのお礼です」。驚きました。その当時、私は勝つことこそが重要で、負けてしまっては意味がないと思っていたからです。
この時から、依頼者が本当に求めていることは何か、表面的な求めではなく、その方の本当の幸せに結びつくものは何なのかをしっかりと見なければならないと思うようになりました。私が追及すべきは、「顧客の幸せ」なのだと。それを知るには、まずはよく聞くことから始めなければなりません。話を聞き、その人の本当に求めていることを知り、それを実現するために最善の道を提案する。ただ一方で、トラブルの渦中にある人は、とかく視野が狭くなりがちです。その視野をぐーっと広くして差し上げて、正確な判断ができる状況を作り出す。その上で、その人が本当に幸せに結びつく道を依頼者本人が自ら選択できるよう支援する。それが私の仕事なのだと思っています。これが、私の弁護方針です。