○○と○○を取り違えると裁判も無意味になります
求めていたものを得たのに違和感が残る
依頼者の中には、「○○さんを訴えたい。是非お願いします。」という方がいます。弁護士としては、依頼事項が明確ですし、着手金が入るので、良い依頼者に見えます。そのまま依頼を受ける弁護士も多いのではないかと思います。
ところが、このような依頼者は、裁判をして判決で勝訴判決を得ても、「あれ?なんか変だな」という感覚、違和感を感じ、求めていたものを得ることができないことが多くあります。
それはなぜか。
大切な視点が欠けている
裁判というのは手段に過ぎないからです。手段は目的のためにある。つまり、裁判をするにあたって、何を目指すのか、何を求めるのかが明確になっていないと、せっかくの裁判が無意味になってしまうのです。裁判自体が自己目的化してしまうと言ってもよいかと思います。
でも、本当はその人が得たいのは、勝訴判決ではない。それによる、安心感であったり、納得感であったりすることが多いのです。
私は相談の段階で尋ねます。「裁判によってあなたが得たいものは何ですか?」と。すると、依頼者の多くは「?」と怪訝な顔をされたり、ハッとした表情をされたりします。裁判は時間もかかるしお金もかかるし精神力も必要です。決して幸せなものではありません。目的を明確にしていないと、「こんなものするんじゃなかった」となるのです。だからこそ、何のために裁判をするのか、あなたの得たいものは何か、を明確にするのです。
目的を明確にすること
目的を明確にすると、裁判だけが手段ではないことに気がつきます。結果、何もしないで相談のみで終わるということも多くあります。自分の解釈を変えることで安心感や納得感を得られる場合もあります。他の手段をとることもあります(弁護士としては着手金が入らないので、売上は伸びません)。
私たちは依頼者の安心と納得が目的で仕事をしています。裁判をするために弁護士をやっているのではないのです。
目的と手段を取り違えると、裁判も無意味になる。
無駄な争いが少しでもなくなることを願っています。